第89話   庄内竿の思い出   平成16年03月25日  

初めて庄内竿を手にしたのは小学校の4年の頃である。

それ以前は、九州産の布袋竹の安竿であった。同じ安物でも庄内の苦竹の2(3.6m)足らずの延べ竿を買った時のあの喜びは今でも忘れられない。これでベテランと同じ竿が持てたという事で、大きな魚が釣れるような気がした。さらに中学校に入ると2間一尺(約3.9m)の延竿、2間半(約4.5mの三継)3(5.4mの三継)の継竿を揃える事が出来た。

黒鯛の二才との出会いは丁度其の頃である。それまではぜや石ガレイばかり狙って釣っていた。ところが黒鯛の二才とは云え、釣れると以前の魚とは引きが違うのに驚いた。それからと云うもの黒鯛釣りにはまってしまった。お金がないので餌は自分でゴカイを掘り、二歳、三歳を釣りに足しげく南防波堤の付け根に通った。魚の好物のエビは、釣の残りのエビを庭の大きな池に放して、鯉や金魚に食べられない様に水草を増やして防いだ。二〜三年もするとその結果、餌代は殆んどかからずに済んだ。

最上川の付け根は、雨が降って上流からの濁りが入ると必ずと云っていいほど釣れた。釣具屋の店頭に飾られた長竿で使って釣った大きな黒鯛や花鯛、真鯛、鱸の魚拓を見るたび、何時かは自分も釣りたいと夢が膨らんだものだ。高校時代は進学校に入ったので釣に余り行く事は出来なかったが、それでも何時かの為と少しは出来の良い二間半の中通しの竿を買った。大学に入学してからは、夏休みが待ち遠しくてならなかった。夏休みには早々に田舎に帰り、従兄弟と毎日の様に南防波堤に通った。

上達しサイズはだんだん大きくなり、この頃やっと、時たま1尺越えるものを釣上げるようになっていた。そんなある日、北防波堤でお年寄りのベテラン釣師が4間半の庄内竿で50cmの黒鯛を上げたのを目撃した。それは自分にとってのカルチャーショックであった。ドデカイ黒鯛を釣っている現場を見たのはこれが最初である。中通し竿ではもっと簡単に上げることは出来ただろうが、その老釣師はいつも延竿を好んで使っていた。その熟練の技は見ているだけで惚れ惚れした。竿の弾力を十分に使い、竿を余裕の角度で保ち、焦らずゆっくりと楽しみながら黒鯛が弱って海面に浮いてくるのを待つ。今のように道糸やハリスがカーボン繊維でない頃の時代の釣であるから、50cmもの大物を上げるのは熟練と技が必要なのである。初心者や中級者では、竿を折るかテグス(道糸もしくはハリス)が切られるかのどちらかである。取り込みまでにゆうに450分はかかる。それだけ長く楽しめる釣であった。現在の竿と糸を使えば、少しの熟練で10分とかからないで魚を浮かせることが可能だ。つまらない事に魚とのやり取りを楽しまないうちに簡単に魚を浮かせてしまうの釣である。

釣具の向上はすっかり型、数を取る釣に変わってしまった。マスコミも一緒になって拍車を掛けて記事に載せるている。この事は、大いに魚を減らす原因にも繋がっているように思える。子供の頃、「店頭に飾られていた魚拓を見て自分も何時かは!!」と思っていた時代が懐かしく思える。